清和源氏祈願所
満願寺散策
  平成19年5月9日(水)

神秀山満願寺の正面石段上から山門を望む
山門の仁王さん 左が吽形 右が阿形

弓刀吹将子の自宅から二十町ほど山の中に入ると
源満仲が始祖の清和源氏が祈願所としていた
神秀山満願寺があります。

付近は大阪から近場のハイキングコースになっており
多田神社や西最寺滝などの名所があります。

もっとも平成の世になってこの方
満願寺周辺も宅地造成の荒波に飲み込まれ
鄙びた山里の面影はなくなりました。


山門下から本堂に続く長〜い参道


参道奥右側にある満願寺本坊の庭の生垣とそれに続く白壁


満願寺本坊


満願寺本坊の庭園


神秀山満願寺本堂
金堂は慶安年間(1648〜52年)の再建
金堂には阿弥陀如来をはじめ
薬師如来、聖観音、十一面観音、四天王、など多くの古仏像を祀る

  お寺の縁起は、神亀年間(724〜9年)勝道上人が
千手観音を本尊として創建したと伝わっている。

968年(安和元年)源満仲が摂津守として多田に本拠地を構え、
満願寺に帰依し、源氏一門の祈願所とした。

  以来、源頼朝や足利尊氏など源氏一門の安堵や寄進を受け、
寺運大いに栄え、最盛時には49の院坊があったが、
戦国末期の兵乱でことごとく焼失している。

  徳川時代に入り諸堂が再建されたが、往時の盛況には及ず、
12院となったが幕末期に至るまでに円覚院以外は全て移転。
明治初年に円覚院を改めて満願寺と称し、現在に至っている。
現在の多くの建物はその当時のものである

源氏の七塔               坂田金時之墓

源氏の七塔は右より源国房、源光国、源明国、源仲政、
源国直、源行国、源国基の供養塔

坂田金時は足柄山の金太郎さんでおなじみで
源頼光の4天王の一人で大江山の酒呑童子退治で活躍した

弘法大師立像        石造り九重の塔

法華塔と呼ばれる九重の石塔は鎌倉時代後期のもの。
1283年(正応6年)の銘があり、国指定重要文化財となっている


鐘楼

阪急宝塚線では有名寺院ですが拝観料は取っていません。
本堂前の石段下にお一人様百円の浄財喜捨札が
ひっそりと立っています。