矢文の回廊

弓道をこよなく愛する人たちのちょっと面白くて心に残る
文章を集めてみました



弓との出会い

                       塩屋 善幸(元、万博弓友会会員)


幼年時代

あのころ(昭和35年〜40年)当時、
大人気の時代劇が映画館から家庭でも楽しめるテレビへシフトする頃
テレビの影響で、幼なじみとよく、チャンバラをして遊んでいました。

当時の人気番組、隠密剣士、
皆さんの中にも、記憶にある人もいらっしゃるんじゃないですか?
子供のころは、自宅にテレビがなく、
金持ちの親戚や友達の家に行き、
見せていただいたことありましたね、
しかし友達の機嫌をそこなうと、
見せてもらえない事もあり子供心に悔しい思いをしたこと、
懐かしく思い出します。
皆さんは、経験ないですか?
時代劇大好き少年でした。
今でも大好きでテレビの番組表には必ずチェック入れてます。

中学校時代

剣豪の魅力に引かれ、
自分も強くなりたいの一心から中学校に入学すると迷わず剣道部へ。
しかし、ハードな練習についていけず初回半年ぐらいで挫折。
あきらめ切れずに再チャレンジも試みましたが、
細身の身体では、やっぱりついていけず断念、
決定的だったのは健康診断のレントゲンに
胸に小さくヒビのようなものが写っていると言われたときでした。
武道の道、あきらめたくない、
剣道がだめなら日本男児として、なにかの武道にたずさわりたい。

高校時代

剣道を挫折してしまった私は、
他の部活に入部する気持ちも起きず4月は帰宅部。
入学してすぐ友達が出来たのが救いでしたが、
それもつかの間、
彼たちは各々クラブ活動を選択しその道へ、
凄くうらやましかったですねー。

ある日、
卓球部の友人が、
何もしていない私を心配してくれたんでしょうね
自分の練習しているところへ連れて行き、
「いっしょにやろう」と誘ってくれました。
彼のやさしい気持ちがうれしくて卓球部への道へと、
心が動いたこともありました。

しかし、
縁がなかったんでしょう、
入部の手続きに、顧問の先生のところに行くと
「もう定員オーバーでだめ」と断られました、
友人の申し訳なさそうな顔、
今でも思い浮かびます。
当然ですが、
彼を責める気持ちはおきませんでした。

高校での弓との出会い

雨の日でした、
弓との出会いは、
放課後、あいにくの雨で、
各クラブは、外での練習が出来ず、室内で。

スバラシイ実績を残しているところは、
優遇されていて、
独立した、練習場がありましたが、
無いところは、自分たちで確保するしかありません。
そんな日の放課後、
帰宅しようと階段を降りていくと、
踊り場と階段を使い、
練習している弓道部の部員達と遭遇したのです。
その時、思いました、
先ほど述べた後方のクラブ?(実績のないクラブ

(注・先輩達の名誉にかかわりますので追記しておきます、過去には
国体出場など輝かしい功績を残した時期もあったそうです)

やっと確保した練習場?
なぜ、
踊り場と階段?
後でその理由が、自分で体験して判明。
皆さんもピーンときたのでは、
はい、正解です。
天井の低い室内では弓を打ち起こすと、
上を突いてしまうのです。
だから、階と階の間の踊り場と階段が、
雨の日には絶好の練習場に変わるのです。
先輩達からの、引継ぎ、ちゃんと後輩は、受け継いでいるのです。
実績の無いクラブは、こんな場所でしか、
練習が出来ないのだろうと、気の毒に思いながらその日は、
帰宅したことを覚えています。

弓道部への入部

入部のきっかけ、思い出せないんですよ、
どうしても、
最初に遭遇した時のインパクト
そんなに強くなかったと思うんですけど、
その時もやってみたいという気、
起きなかったんですよ、
どうしてだろうなー、
気づいたら、弓を持っていましたね、記憶にないんです。
本当に、私の中の七不思議。

ー、
武道を諦め切れなかった男、
剣を、弓に、持ち替えてのスタートです。
しかし、細身の私には、スタートから、苦行の道が、
同級生は、弓をもって練習、
私は道具をもたないで、基本動作の練習、
なぜだと思います?

後から入部したのだから当然のことだと思われるでしょう,
ーです。

正解は、学校にある一番弱い弓が、引けなかったのでした。
そのくらい弱体でした。
先輩たちも、どうしたものかと、悩んでいたのを、
私自身も感じました。
でも、辞めたくなかった、
引けるようになりたかった、
もう挫折はいやだ何とか引けるようになりたい、
引き込みが出来なければ、次のステップには、進めない。

何とか、せねばと思い、少し努力しました、
その結果、引き込むことが出来るようになったのです。

どうゆう努力したかって?

内緒です。
あることです。それを、試みて2週間ぐらいで、
引き込めるようになりました。

慣れると弓は、力で引くものではなく、
体全体を使って引くものと実感しました。

これでやっと同級生と同じレベル、
それからは、毎日が楽しくて、楽しくて放課後が、
まちどうしかったです。
初めて、的前に立って、
矢を放した、ときの感想は、
すごく怖かったです。
皆さんはどうでした?

それからは、先輩達の指導、
夏休みには、支部長金丸先生との出会いもあり。

人並みに、弓が引けるようになり、
1年の3学期(1971年2月14日)には、
初段に合格しました。

今思うと万国博覧会の翌年だったんですねー。
弓道との出会い、
素晴らしい人間関係、
これからも大事にしながら弓道を続けて行きたい。
以上が高校で、私が初めて弓道に出会うまでの記憶の綴りです。

《塩屋さんは射流し大会で初出場初優勝
残念ながら転勤で埼玉県に引っ越されました
関東での活躍を期待いたします》




“初 秋 に 想 う”

                  逸見 可奈(万博弓友会会員)


『 矢のように 過ぎ去るオトコに 中りなし 』

*注釈* ご想像にお任せします

『 厭きふけて 的をおもわす 蓮根の穴 』

        *注釈* 決して弓道に厭きたわけではありません
         練習をさぼってばかりなので、
     きっとどこかで罪悪感を
   感じているのでしょう

《逸見さんの句は意味深長で不思議な味がありますね》



私が弓道を始めるに至った理由

                      前田有次郎(万博弓友会会員)


私が弓道を始めたのは40才を過ぎてからですが
なぜか弓というものに子供の頃からなんとなく惹かれるものがあり、
あらためて考えて見ると今まで弓に強く興味を持った時期が
4回ほど有ったことをが思い出され、
それが今に至って実現した結果ではないかと思われます。

私の最初の弓との出会いは、小学生の頃、
遊び仲間と竹林から竹を採って来て、
その竹を割って適当な長さに切りナイフで削って加工し、
ストーブで焙って反りを付けて形を整えるなど
苦心して弓を作った過程の楽しさと
出来上がった弓で矢を飛ばしあいをして遊ぶ楽しさを覚えたことが始まりでした。

次に再び弓に興味を覚えたのは、高校生の頃で、
世界史の中に登場してくるユーラシア大陸中央の草原地帯を支配していた
アーリア系・トルコ系・モンゴル系の遊牧騎馬諸民族の活躍で、
これら遊牧騎馬諸民族の主な戦法が
騎馬による神出鬼没の機動力と
疾走する馬上からの弓により
敵に矢を浴びせて攻撃することを得意としていたことを知り、
そしてこの馬と弓による戦法で13世紀にはモンゴル族が
東は中国から西はロシア、
南は現在のシリア、イラクあたりまで
支配するという世界帝国を建国するまでに至ったということで、
弓という武器の持つ威力に大変興味を覚えました。

そしてこのように威力のある弓がどのような材料で
どのような構造で作られているのか知りたくなり色々調べて見ると、
今まで弓は木か竹の単材で出来ているものと思っていたのが
遊牧騎馬諸民族の弓が木、動物の角、骨、腱などを加工して
張り合わせて作った複合弓で
弾力性に富んだ強力な湾弓であったことを知り
驚きを覚えました。

それでは日本の弓はどのようにして出来ているのかということにも興味が湧き、
調べてみると和弓も櫨の木と真竹を組み合わせた複合弓の湾弓であり、
しかも弓の中心を握るものと思っていたのに
和弓は中心を握らず弓の下から3分の1の所に握りがあるという
変わった構造の長い弓であることを知りました。

しかしこの変わった構造にも関わらず、
何か非常に心ひかれる美しい形をしており、
この時から和弓に対していつかは手にして引いて見たいという
ひそかな興味を覚えたことが思い出されます。

なお、余談ですが和弓には櫨の木が使われているというので、
本当に櫨の木に弾力性があるのか知りたくなり、
そのために櫨の木の枝を切って弓を作ってみようと思い立ち、
枝を切ったところ樹液で顔や首にかぶれが出来、
大変な目に合ったことを今でも鮮明に覚えています。

次に弓との出会いは社会人になってからで、
寮に入居していた時、
寮の裏庭の崖に的を立てて洋弓をしている同僚がいて、
それを見ている内再び弓に対する興味を呼びさまされ、
今度は弓を買って実際に射ってみたくなり、
同僚が持っている同じ洋弓を買っても面白くないし、
高校の頃、和弓の美しさに興味を持ったことが思い出され
和弓を買うことに決めました。

しかしいざ和弓を買うにしてもどこで購入すればよいかわからなかったので、
とにかく大きなスポーツ用品店ならあるかもしれないと思い
淀屋橋のミズノに見に行ったところ、
この頃は和弓も扱っていて納品に日数がかかりましたが
高校生の頃の念願がかない和弓を手に入れることが出来ました。

この時初めて本物の弓を手にしたわけですが、
今から思えば弓道の作法や射法も知らず、
稲垣源四郎先生の著書「弓道入門」を読んで
適当に弓を射って遊んでいたという感じで、
ずいぶん無茶なことをしていたという思いがします。

またまた、余談ですがこの時買った弓、ゆがけ、矢等の購入費に
給料と同じ5万位かかり
非常に思い切った出費をしたことを覚えています。

そしてこの時が、弓道を始める最適のチャンスだったのに関わらず、
弓を習う道場がどこにあるのかわからないし、
弓道と言う名前からなんとなく感じる固ぐるしさ、
敷居の高さから、
そのうち興味がアマチュア無線やスキー、ゴルフなどに移っていき、
せっかく思い切って購入した弓矢は部屋の飾りになってしまいました。

4回目の弓との出会いは、
仕事で舞鶴市に転勤となった時、
たまたま職場の近くの丘の上に舞鶴市弓道場が有って、
いつも職場への行き帰りに弓道場の看板を何気なく見ていました。

そして弓のことはほとんど忘れかけていましたが
何気なく弓道場の看板を見ているうち、
昔和弓を買って持っていることと
昔から弓に対する興味がいつも心の底にあったことを思い出し
再び弓への興味が湧いてきだしたその時、
市の広報に弓道教室生徒募集の記事を見つけ、
この機会に思い切って弓を本格的に習ってみようと決心しました。

そしてこの4回目の弓との出会いで
今まで持ち続けていた弓への興味が現実となり、
ついに私と弓道のつきあいが始まることになりました。

今あらためて考えてみると、
子供の頃より弓にたいする興味、
憧れがいつも心の何処かにあって、
これらのことが色々な趣味、スポーツ等がある中で
私が弓道を選び今に至っている理由の原点になっているものと思われます。

今後も長年の念願がかない始めた弓道ですので
末永く弓道を修練して行くとともに
それ以上に弓道を楽しんでいきたいと思っております。

《前田さんも全日本飛ばシスト会会員です
子供の頃の弓ごっこは皆さん同じですね》



弓 道 川 柳

                 山口千賀子(万博弓友会会員)


『“初めて”の思い出』

        袴着て歩く道場気分一新
           初めての審査で覚えた射法八節
              本番の介添え足の左右に迷う
                 初射会イロイロな的全部ねらって

『季節はめぐる』

        射場から四季の風景感じとり
           春の風桜ふぶきの先に見る的
              揖をして芝生のまぶしさ光る夏
                 色づいた木々を見ながら行く矢取り
                    シンシンと寒さ感じて弓矢とる

『今日の成果は?』

        この一射覚えておいてと我に願う
           あと一本帰る間際の独り言
              たくさんの課題を抱えて弓しまう

『道場で出会う人々』

        調子どう?あいさつ代わりに声かける
           残心の表情それぞれ悩んでる
              たくさんの言葉に悩み喜び励まされ
                弓道を選んでみんな道場に立つ

《山口さんの弓道に取り組む姿勢がよくでています、皆さん悩んでますね〜》




あっという間に四十有余年

                北川 茂(万博弓友会会員)


当時まだ小学生の悪ガキであった私は、
船場界隈を遊びの縄張りにしていた。
ある日、縄張りからだいぶ南東にコースアウト、
偶然にも高津神社に漂着した。

微かに聞こえるポン、、、、、、、、ポンという不思議な音。
あまりに気になるので恐る恐る建物の中を覗き見た。
『ポンという音の瞬間、私の体に今まで感じたことのない強烈な電流が走り抜けた』
これが私と弓道との初めての出会い。

今から思えばこの強烈な出会いは、弓に対する私の恋心か?

さっそく家に帰り、定形外の大型荷造りに使用する補強用の竹材をゲット。
小刀で弓の形に削り出し、これまた荷造り用の紐を弦として迷弓の完成。
矢は、日本建築でよく壁の中に芯として入れていた細い丸竹を
もらいうけ共筈の棒矢をつくる。

それからというものは近所の空き地で暇さえあれば、来る日も来る日も弓ごっこ。
悪ガキ達には秘密で、私だけのお楽しみ。
でも残念なことにこの楽しみは、あまり長くは続かなかった。
最も恐れていたことが現実になったのだ。
町内のうるさい大人に見つかり、
止めざるを得なくなった。

それからなんと25年の時空を経て、またまた弓に遭遇する。
当然のように幼いときの恋心が再燃する。

毎週土曜日開講の朝日カルチャー弓道教室が待ち遠しくて、
待ち遠しくて、
早く私も『那須与一』になりたい!!

カルチャー教室の一回目、講座案内には「矢渡し」と書かれていたので、
受講記念に棒矢をいただけるものだと早合点。
また、初回から矢を飛ばせるものだと期待していたのに
田中隆一先生の長い、なが〜い弓道講話と
歩き方の練習のみ。
棒矢の方は自費で購入すると聞いて二度がっかり。

巻藁練習が始まると、手は打つ、顔打つ、メガネ飛ぶ、、、、、
それはそれは、聞くも涙、語るも涙の物語。
毎週土曜日には、メガネが壊れるので
予備のメガネを持参しての道場通い。

このまま弓道を続けていたら、メガネの費用だけでもう大変。
三回目の破損で覚悟を決め、
「次にダメならコンタクトレンズにしよう」と考えていたら、
無心のうちに手の内を体得し、
気合の押し手でメガネはセーフ。

「やはり私には才能があるのか」とうぬぼれていたら
「お前のようなへたくそは珍しい」と講師に誉められまたがっかり。
(入門から七、八年後に縁あって、朝日カルチャー弓道教室の臨時講師を
経験いたしましたが、なるほど私より下手くそは見当たりません)
でも、メガネさえ無事ならばこれでしっかり大丈夫。
ここからが踏ん張りどころです。

カルチャー教室では、四期まるまる一年と三ヶ月(当時は一月から三月までは休講)
を勤め上げてどうにか出所し、初段位をいただく。
ほぼ同時期入講の高橋渉さんは、
私のメガネ飛ばし行射の素晴らしいパフォーマンスを見ていた
貴重な生き証人です。

毎年一段ごとの昇段で六年目には錬士号をいただき順風満帆。
しかしそれからは、まるで五十払いと雨降りが重なった時の交通渋滞のように
遅々として進歩なし。
その間に、家内が弓を始め、
小学一年と三年の息子も弓を持つようになった。
いつの間にやら模範的弓道一家が誕生し、
珍しさからか家族四人で演武会に出していただき、
雑誌にも紹介された。

しかし、あまりにも静の武道である弓道は
やんちゃ盛りの小学生にとっては不得意科目であるらしく、
二人ともサッカーと体操に転進。
以後、弓道は私たち夫婦にとって話の種であり、
いさかいのた種でもありますが、
日常生活に潤いをかもし出すとともに、
自己を見つめなおすきっかけをつくるものになりました。

自分自身の行射は、いかに名人上手といえども
自分で観ることが出来ないように、
自分自身の行いも自分では観ることが出来ません。

『自分一人だけでは本当のところは何もわからない』
この一大事に気がついたのは、
弓道を修練したおかげであり、
私にとって掛け替えのない大きな成果になりました。



無  題

               小林由美(万博弓友会会員)


南春日丘西のバス停を降りると、
正面に「太陽の塔」を斜め後ろ15度ぐらいの角度で見ることが出来る。
その項の曲線が、
日本庭園の森に隠れていく様を見ながら弓道場に向かう。

万博弓道場は桜からツツジ、
生い茂る夏草の匂い、
黄金色のイチョウ、
雪景色といった季節を彩る環境にある。

道場に入ると、
ひんやりした空気と静寂の中に軽い弦音が聞こえてくる。
人の少ないときは風の音が聞こえるほど静かである。
何年か前までは夜間の使用が可能であった。

月明かりが矢道を照らし、
的は羽虫が飛び交う古い蛍光灯の光でぼおっと浮かびあがるように見える。
射場に反響する弦音。
夜の空気が射場を一層張り詰めたものにしてくれる。

ナイターは火曜日と土曜日にあり、4〜5年通わせていただた。
喧騒な日常生活から一変して世界が変わる。
そんな雰囲気を味わえた。
大好きだった。
秋が終わり空気が冷たくなると、
ナイターは冬休みに入る。
春が待ち遠しかった。

カルチャーで同期のNさんと先輩のYさんとで地方の競技会を訪ね歩く。
どこへ行っても熱心でひたむきでで弓を楽しんでいる人に出会う。
NさんYさんを通して別の楽しみを見つけられた。

極めつけは射流しであった。
K先生に声を掛けて頂けなかっつたら、この世界を知ることは無かっただろう。

毎年、福山までの車中では改造矢改造弓のことで盛り上がる。
河川敷で行われる射流しは、
秋のすがすがしい空に広がる雲に向かって矢を送り込む。
矢は時には空中分解し、
時には川ポチャで瀬戸内に流されていく。
真っ直ぐに飛んでもコンクリートに当る場合もある。
矢を破損された方も多い。

K先生が射位に立つとトランシーバーで距離を測る係りに
300m地点へ移動するよう注意を伝えられる。

勝敗に関わらず、
そこに居る全ての人が生き生きして見えるのは季節の所為であろうか。
帰りには駅で買ったタコ天で反省会。
次年度に向けて前向きなのである。

万博には先生方も目上の方も多く居られ、
その数の分だけ教わることも多く、
困っているときは皆手を差し伸べてくれた。
練習の寄り道をたくさんしたにも関わらず無事昇段してきたのも
先生方をはじめ弓友会の方々によるものだと、
感謝しています。

これからも万博の道場と人によって多くの弓道人が育てられていきますように。

《小林さんは弱弓で飛距離をいかに伸ばすかという課題を
巻藁倒しの押手修得で解決すべく修練に励んでおられます》


※以上五編は万博弓友会二十五周年誌から著者の許可を得て転載いたしました